グローバリズムというけれど

 ずっと考えていたことだが、グローバリズムというけれど先進国の中間層以下にとっては利点が少ないと思う。水が低きに流れるように、多国間で物価や所得の差があるうちは富や仕事は物価や所得の低いほうに流れ、平準化するのが理の当然だといえるからだ。
 日本が高コスト体質であるのは、安全やサービスの質を保つためのマージンを保っている面も否定できないと思う。単純に生産性が低いわけではない。
 というようなことを書きたいのだが、忙しくて文章に出来ない。

よいこは

 インターネットで自分の名前を書いたり、家族やお友達のことを誰だか分かるように書くのはやめましょうね。あなただけでなく家族やお友達が困ることになります。旅館の息子が市役所の職員かどうかなんてどうでもよいことです。みんなはあなたのことを嫌いになるかもしれません。
 よく知らないことや分からないことを書くのはやめましょう。過疎債がどういうものか議員ならその使い道についてもあなたより知っています。おじさんたちはあなたよりずるがしこいです。それと売り飛ばしたのではなく指定管理者制度です。そういう間違いを世界中の日本語が通じる人々に発信するというのは恥ずかしいことです。面倒くさいといわずにきちんと勉強しましょう。
 こどもはお父さん、お母さんが見ているところでネットを使いましょう。

ゆとりがない(おまけ)

私と同じようなことを思いつく人がいるのだと思った次第。備忘として。

http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/1a77e47d69b758d4d054dd49d1f6247e?fm=rss

 私は、学校行事をドラスティックに減らせとは思わないが、柔道・ダンス・和楽器の必修化は公教育のコストを上げるだけだと思う。スポーツ界も学校体育に頼りすぎ。オリンピックで日本人が金メダルを取るのは嬉しいけれど、音楽とかスポーツとかを趣味として楽しむ人を増やすことのほうが国民の幸せにつながると思う。


以下、http://d.hatena.ne.jp/elm200/20120302/1330726874 より

  モノの生産に携わる必要のに必要な人数が減るというのは、
 携わりたくても携われない人たちが増えるということだ。こ
 の人たちは、もういままでの意味での「労働」をする必要が
 ない。「ヒマ」なのだ。では、一体何をしたらいいのだろう
 か?

引用終わり


 生産性が上がっているということは、働かなくても食べていくことが出来る人が増えているはずなのに、何故か競争を強いられる。ゆとりがないですね。学校は社会の縮図。価値の転換を進めていかないと大多数の者にとって不幸な世の中になるだろう。

ゆとりがない(2)

 そもそも、自主学習とか観戦レポートの提出は一見教員が楽を出来るように思われる。一言通告する以外の準備はいらない。しかし、生徒が提出したものをきちんと評価するなら自らの手間を増やし負担を増やすことになる。教科が違うものをばらばらに提出されてそれを処理できる教員がいるはずがない。数学の計算問題を例に取ればわかる。教師が解答も持たずにチェックするとしたら、教師自身が問題を解かねばならなくなる。

 詰め込み教育の最末期に義務教育を受けた身からすれば、教科学習において学校で何を身に付ければ良いかが明確であった当時とそれが曖昧な現在の違いを痛感する。義務教育課程の平均的な子どもたちにとって、自主学習といっても何をどのようにやったら良いかが分からないのだ。課題を毎日、自ら見つけることは実は大人にとっても難しいのではないだろうか。実をいうと、相対評価から絶対評価に移行した時点で教科の評価の観点に意欲・関心が含まれるようになったことも、真面目に取り組む子どもたちがゆとりを失う原因にもなっている。教科の学力と成績表に5段階で表される評価との乖離が甚だしくなった。論理の正当さや創造性よりも表面上の服従を求められていると感じた子どもたちがどう対応しているか考えてみて欲しい。生徒たちは、自分の学力を上げることよりも、教師に良く評価されることにエネルギーを費やしているのだ。あるいは、評価されることを端から諦めるか。
 お願いだから真面目に取り組めば取り組むほど深みにはまる自学はやめて、均質・定量の宿題を出して下さい。
どうしても身に付けて欲しいことを、分かりやすく示して欲しい。休み時間まで取り上げ、睡眠時間を削るように子どもたちを仕向けるのことこそ問題だと思う。


ゆとりがない(1)

 五島高校のスポーツコースに内定した生徒が、高校から出された宿題の多さに中学校の自主学習を免除してくれるように担任教諭に申し出たところ即座に却下されたらしい。また、1,2年生のサッカー部員は女子日本代表の試合をテレビ観戦した上でレポートを書くように担当教諭から求められている。試合を見るだけで2時間はかかる上に、今回など放映が終わるのは夜11時半を過ぎる。「利点を書きなさい」という「利点」の言葉の意味も知らない生徒もいるのにどうやってレポートを書かせることが出来るのだろうか。意識が高い生徒は指示されなくても教師の要求以上のことをするだろうが、ほとんどの生徒は視点を持つことも表現する言葉も持たずにレポート用紙を汚す結果になるだろう。平均以下の生徒の日本語の語彙の少なさは目を覆うばかりに悲惨だということを知っている教員以外の大人は少ないと思われるが、生徒には基本的な日本語を教えるのが先ではないだろうか。これでは生徒に時間の無駄を強要し睡眠時間を削ることになる。ダイジェストを作って部活の時間内に見せて指導者が解説すべきだろう。その上でレポートを書かせるなら理解できないこともない。
 自主学習、略して「自学」は実際には字義の通りではない。毎日、大学ノート1、2ページを美しく汚す(語弊があれば消費する)ことを求められる定量の課題だ。見た目以外の質は問われない。その証拠にページ数の累積を競わせたり、チェックするのが教科担当ではなくクラス担任だったりする。教科毎にノートを準備する指導が行われないので、漢字の練習の次のページが社会科の要点のまとめだったりする。ノートというのは忘れないように書き留めたり、学んだことを整理するためにある。あくまで、後で見ることが前提だ。教科別にノートを作るのはもちろん、要点の整理と反復学習も別にするほうが良いに決まっている。良いノートは検索性に優れていなければならない。反復練習はチラシの裏でもいいし、プリントの裏でもよい。学級・学年通信を刷るより、宿題や単元小テスト(モジュールと言うらしい。日本語を使え!)を刷るべきだ。不正のチェックには熱心だが中身をきちんと見て評価しているかは疑わしい。課題として与えているのに肝心の指導が行き届いていないのだ。優秀で真面目な生徒ほど損をし、何をどう勉強したら良いか分からない生徒は何も身に付かないし、提出せずに平気な生徒もいる。きちんと宿題を与えるべきで、自学は文字通り生徒の自主性に任せたほうが良い。ついでに書くが高校入試シーズンになってから「受験生の自覚がない」といって、一日あたり4ページに増やしてみたり、昼休み時間中も勉強していないと怒られたりするらしい。あせる気持ちは分かるが、私も一昨年に警告した記憶がある。ブログだけではなく・・・・。
 
多分続く
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR